新幹線が西へ延伸されつつあった中、1982年に東北新幹線が東日本を貫き、終点の盛岡では各方面で明るい話題が沸き上がった。その中で観光要素は東北志向へ。すでに東北自動車道は本州最先端まで貫いていて、盛岡発の都市間高速バスも次々と運行開始されたが、前述の観光要素も取り入れたとわだこ号は、その開業のトップグループの1つだった。
・データ
盛岡駅-十和田湖『とわだこ号』秋北バス株式会社
相手会社/岩手県北自動車、ジェイアールバス、岩手県交通
執筆・写真■石川正臣(バスマガジンvol.88より)
十和田湖が正面に現れると車内は歓声に包まれた
人気の東北ワイド周遊券で、東北のバス鉄道乗り放題を利用して旅行する若者も多く、この当時は高速バスも利用でき、共同運行の会社も利用できた。開業トップグループの弘前便ヨーデルも同様、青森便・あすなろ号はジェイアール便のみ乗車可能だった。
盛岡駅を発車すると市内を走行しすぐ高速入り。美しい岩手山を望むと上り勾配が続く。次第に山間部に入っていく。すれ違う高速バスも多く、その中て秋北バスの黄色と赤のカラーリングは特に緑に映えて美しさが増す。新幹線開業で一気に路線増えたせいもあり、各社とも新車ばかりを取りそろえた。
自分が乗っている車両も新しく、見ていてもわかるのが上り勾配続きなのに普通に高速走行しているのは車両における技術の進歩で馬力が重視されていた証といえた。ドライバーの目線や気配りも速度や車間距離に注がれていそうでワクワクしたものだった。
花輪サービスエリアで休憩。当時はトイレのない車両が主流で乗客たちは、トイレに行って売店で買い物してバスに戻り、再び出発というスケジュールだった。
高速を降りて緑深い山道から、一面青い水面が広がる十和田湖が正面に現れる。車内からの歓声で、都市間ではなく観光路線であることを実感する。今までの青森から山道を超えてのルートは短縮され、終点・十和田湖に到着するのだった。
とわだこ号とともに秋北バスのカラーも姿を消していった
釣りを楽しむ人、湖面からヒメマスが飛び跳ねるのではないか、遠い昔は十和田湖は魚1匹住まない湖だったという。そんな中、和井内貞行という幕末ころの人物が、苦心の挙句ヒメマス放流に成功。ランチに湖面の眺望が楽しめるお土産屋の2階でヒメマスをいただくと、思わず手が合わさった。
1982年から運行開始され、その後10年間は盛況で増便も続いたが90年代から減便となり、2001年に秋北バスが撤退、2009年に運行が取りやめとなった。
新幹線は新青森まで延伸され、十和田湖へ向かうには昔ながらの奥入瀬渓流を通る老舗のみずうみ号で車窓楽しむのがやはり一般的であるのだろう。
いっぽう、秋北の盛岡発高速バスは、このとわだこ号のほか、青森便あすなろ号と大館便みちのく号が運行されていたが、あすなろ号は減便時に衰退。みちのく号は変わらず盛況ではあるが、デザインはグループ共通となり秋北の黄色と赤カラーは思い出のバスなった。