憧れだった東京でのバスガイド生活。あの春、胸いっぱいの夢を抱えて上京した時には、まさかその夢が2年も先延ばしになるとは、それこそ夢にも思わなかった。パンデミックという未曾有の嵐の中で、立ち止まり、悩み、もがきながら、それでも前へ進もうとした、そんな「へっぽこガイドの原点」となったリアルを少しだけ紹介する。
文/写真:町田奈子
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
(写真はイメージであり本文とは直接関係ありません)
■夢を抱いて上京した春
2020年3月に専門学校を卒業した私は、春から始まる新しい生活に胸を膨らませていた。全国どこでも働けるバスガイドの仕事をあえて東京で選んだのは、オリンピックイヤーに、その舞台となる街で働きたかったからである。
そしてもうひとつの理由は、中学生の頃から憧れていた“推し”がいる街に住みたかった。若いころはそんなことが職業や住居選択の理由になるものだ。
そんな夢を抱きしめながら、新人ガイドとして入社したあの日。制服の袖を通すたびに「ここから始まるんだ」と胸が高鳴っていたのを今でも覚えている。
■突然の現実と向き合う日々
入社して間もなく、世の中が一変した。「しばらくの間、業務を休止します。不要不急の外出は控えるように」 会社からの一言で、私の日常は止まった。「え…これからどうなるの?」仕事がなくなり、街も静まり返り、毎日が不安でいっぱいだった。
最初は「働かずにお給料がもらえるなんてラッキー」と正直なところは思っていたのは事実だ。しかし「5月再開」のはずが「9月に延期」となり、やがて“今年度は全休”の知らせを聞いたときに、事の重大さにようやく気が付いた。夢は簡単に止まってしまうんだな、と。
■“人生の夏休み”と小さな挑戦
開き直った私は、当時の旅行支援制度を使い、合宿免許や小旅行に出かけた。行く先々で出会った景色や人に癒されながらも、心のどこかで「このままでいいのかな」と自問していたが自答まではできなかった。
そんなときに出会ったのが、世界遺産検定2級だ。「せめて何か、ガイドとして成長できることを」との思いから独学で挑戦した。結果は合格だった。合格率およそ40%と言われる試験を突破できたことは、現在でも小さな誇りと自信になっている。
■新しい現場での挑戦
やがて、国の支援も終わり、会社の方針で別の現場を経験する機会をいただいた。私はホテルのサービス部門で勤務することになり、慣れない環境に戸惑う日々が続いた。忙しさの中で、自分のペースをつかむことが難しく、気づけば心にも少し疲れが出ていた。
それでも、「ここでの経験もきっと将来に繋がる」と信じて前を向こうとした。いくらポジティブな私でも、一度は深呼吸する時間も必要だと感じ、少し立ち止まり休職することを選択した。
数ヶ月後に再び制服に袖を通したときに、以前のような完璧さではなくても、「もう一度歩き出そう」と思える自分がいた。今振り返れば、あの休息の時間があったからこそ、今の私があるのだと思う。
■ そして再び夢のステージへ
2022年1月に2年越しで、ようやく新人研修が始まった。制服に袖を通した瞬間、胸の奥からこみ上げてくるものがあった。「ここまで長かったけど、やっと夢の続きを歩ける」どんなに遠回りをしても、あの日の私が諦めなかったから、いまの私がここにいると感じる。
長いトンネルのような2年間。でも、もしあの時間がなければ、私は「感謝して働く」という意味を知らなかったかもしれない。バスガイドに限らずどんな職業においても新人という期間があるし、読者の皆さんもその経験がおありだろう。またこれからその経験をする方も多くいることだろう。
しかしどんなに止まってしまう時間があったとしても、きっと意味はある。そんなことを、今なら少しだけ胸を張って言える気がする。不安定な世の中だからこそ、すべてに意味があると信じて欲しいと願っている。
本稿では新人研修までの長く遠回りな道のりを情緒的に書いたが、次回は本稿に引き続き、2年越しの研修とデビューまでの実務の裏側を公開予定だ。“へっぽこガイド”が初めてマイクを握るその瞬間、 涙と笑いと緊張のすべてをお届けする。
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