バス停に矛先が向いた論調は正しかったのか
こうした一連の流れの中で、筆者はある種の違和感をずっといだいていた。安全をめざす方向性は正しい。しかし「危険なバス停」という名が付けられるほど本当にバス停自体が危険なのだろうか。もっと言うと「事故が起きたのはバス停のせい?」なのだろうか。
事故の要因は第一義的に乗用車の運転者の過失だったはずだ。大型車がいれば当然その周囲に死角ができる。すれ違ったり追い越したりするときは、そこから人や自転車などが飛び出してくることは当然予測して運転しなければならない。
筆者は約45年前の普通免許取得時の路上教習で、対向車線が渋滞しているときに教習員から、間から横断者が飛び出してくるつもりで運転しろ、と言われて本当に自転車に飛び出されたことがあるから、停車中の車両の横を通り過ぎるときには細心の注意を払う。それができていなかったのが事故の主要因であって、本来は一般ドライバーへの注意喚起が先に来るべきではなかったろうか。
死亡事故は残念だが、筆者が子どものころから「降りたバスの直前直後の横断はしないように」学校でも家庭でも呼びかけていたし、道路を横断するときは(特に見通しが悪いところでは)右を見て、左を見て、と指導されていたはずではなかったのか。
それらに対するあらためての安全意識を高める方策より、あたかもそこにバス停があったから事故が起きたような論調が主流になってしまったことに、筆者は問題がすり替えられたような違和感をもったのである。
なるべくしてなったわけではない「危険なバス停」
今回、「危険なバス停」とされた1万カ所以上のバス停には、40年も50年も前からあるバス停が少なくない。いわば安全でない場所にバス停がつくられたのではなく、もともとあったバス停の周囲が後から変化したケースが多いのである。
典型的なケースで言うと、50年前に田んぼの中の一本道にバス路線があって、奥の集落からのあぜ道が出てくるところにバス停が置かれた。その後周囲が宅地化された結果、あぜ道は車の通れる道路に拡幅されてそこが交差点となり、横断歩道が描かれた。結果的にバス停にバスが停車すると横断歩道にかかるような位置になってしまった。
また、バス停ができたころは未舗装道路で当然横断歩道などはなく、その後舗装されて横断歩道が後から設置されたケース、バス停設置当初は少なかった交通量が増えたため拡幅され、横断歩道が追加されたケースなども数多ある。
ではこのようなロケーションのバス停で事故が起きているかというと、このたびの国交省の調査でも警察から事故が実際に起きたケースの報告はわずかという。交通量が多い、見通しが悪いといった場所は、地元民は知っているからみんな気をつけて運転し、横断するからだ。「事情を知らない地元以外のクルマが心配」とよく言われるが、注意して運転することに地元も他所もない。
今どきバス停の移設は容易ではない
「危険なバス停」は移設が促されている。しかし移設と言っても簡単ではない。現在バス停を新設するには、道路交通法を遵守することはもちろん、警察に照会して安全な場所であることや交通等の支障にならないこと(駐車場の出入口や消火栓の近くを避けるなど)が確認されたうえで、その場所の住民・地権者の了解を得なければならない。
しかし商業化や宅地化が進むといたるところに車や人の出入口があり、その邪魔にならない場所を見つけるのは容易ではない。
加えて現在、目の前の住宅にとってバス停は、(待つ人の話し声やバスの発着で)うるさい、汚される、覗かれる“迷惑施設”なのである。むしろ合意が簡単に得られる状況ではない。移設できたと思ったら、あとから苦情が出て元の位置に戻さざるを得なくなった事例も聞いている。
また、バス停で待つ人の安全も考慮しなければならない。広いスペースが取れて安全に待てるという理由で過去に交差点の脇に置かれたバス停もあり、逆に移設しようとすると道路脇が狭くて安全に待てなくなるケースもある。
筆者の居住する市内に、バス停で安全に待ってもらえるようにと、地権者が厚意で民地をセットバックしてスペースをつくり、舗装してベンチまで置いてくれた事例がある。バスベイの敷地に民地を提供してくれたケースなども報道されているが、そのようなありがたいケースはごくまれだと言ってよい。
移設が難しいとなると、そのバス停は現在地で注意喚起するか、どうしても現在地が安全上不適切というなら廃止するしかない。しかし前述のように古くからのバス停が多いため、得てして該当するバス停は利用者が多く、簡単に廃止の決断ができないことも多いのだ。