全国合わせて30万箇所以上に点在すると噂される路線バスの停留所。恐ろしく数が多いだけに、極めてユニークな名前が付いたバス停がたまに見つかる。キーワードを絞ってピンポイントに見てみよう。
文・写真:中山修一
全国的にレアだった……「飛行場」が付くバス停
今回選んだキーワードは「飛行場」。飛行場と名の付くバス停を探してみたところ、出てきたのは以下の通り。
飛行場前(北海道)、飛行場前(青森県)、霞目飛行場前(宮城県)、調布飛行場前(東京都)、飛行場正門(神奈川県)、舞鶴飛行場前(京都府)、岡南飛行場(旧岡山空港・岡山県)、飛行場下(福岡県)の、わずかに8カ所だ。
この8カ所の飛行場系停留所のうち、自衛隊または米軍が使用する航空関連施設の近くにあることから命名されたのが5カ所で、民間利用をやっている飛行場は東京都と岡山県の2カ所。旅客定期便が飛んでいるのは東京都の「調布飛行場前」1カ所しかない。
上記を合わせると7カ所、1つ足りない……。余っているのは北海道の飛行場前であるが、ここにはどんな飛行機が出入りしているのだろうか? 実はこの停留所、飛行機どころか飛行場すらない場所に置かれているのだ。
宗谷バス 天北宗谷岬線「飛行場前」
北海道・稚内からオホーツク海へ向け宗谷岬を経由して約80km進んだところに位置する飛行場前バス停。なぜ空と縁のない場所に飛行場前ができたのか、歴史を遡るとそのワケが見えてくる。
現在は宗谷バスが運行する長距離一般路線バスの天北宗谷岬線の停留所を指す名称であるが、1989年まで鉄道路線「天北線」が通っていた。
鉄道の駅は宗谷バスの停留所から200mくらい内陸寄りの場所にあった。1955年に駅より格下の仮乗降場として開業した際に「飛行場前」と命名されたのが最初である。
変わっているのが、1955年時点で飛行場が存在しなかったことだ。名称の由来となったのは、1944年の終わり頃に完成した1,200m滑走路を有する旧日本陸軍の飛行場。既に戦局が悪化していた上、翌年に終戦を迎えたため殆ど使われなかったとされる。
1940年代の航空写真を見ると、現バス停や旧鉄道駅からのアクセスはまさに“抜群”と呼べるほど近くに滑走路が敷かれていたと確認できる。
天北線は短期間ながらJR北海道に引き継がれた路線の一つだった。JRには仮乗降場の概念がないため、わずか2年間だけ飛行場前駅を名乗っていた。
JR天北線が廃止になると、宗谷バスが地域の足を引き継いで代替バスを走らせ始め、飛行場前駅ほど近くに置かれたバス停がそのまま飛行場前となっている。
引き継ぎ時点で名称を変えてしまっても良かったのだろうが、停留所の名を冠するのにちょうど良い代替の施設等が周辺に見当たらない事情が少なからずあるようだ。
飛行場の跡地は牧草地に変わり、滑走路等の面影を見つけるのは極めて難しい。JR天北線の路盤跡はサイクリングロードに転用され、飛行場前駅のプラットホームが現存している。
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