■国際的な観光地として栄えていた当時をいまも多く残す……
『バス、天下の険をいく』によると大正8年6月1日には登山鉄道の開通に合わせて乗合自動車の第1号を運行させている。富士屋自動車と小田原電気鉄道は貸切自動車の時代からほぼ同じ路線を運行していたため、早くから企業間競争が繰り広げられていた。
1932(昭和7)年、小田原電気鉄道から分離独立して設立された箱根登山鉄道の自動車部門と富士屋自動車が合併し、富士箱根自動車が設立された。同社は箱根・小田原の路線ほぼすべてを網羅し、戦前のバス交通を担った。
しかし次第に戦時色が濃くなる中、ガソリン統制による木炭バスへの運行の切り替えや運休路線も拡大し、企業統制が進められることとなり、1944(昭和19)年には足柄自動車と共に箱根登山鉄道の傘下として同社の自動車部門となった。
その後、平成14年には小田急グループ内の事業再編に伴い、分社化され箱根登山バスとして現在に至っている。
改めて宮ノ下にある富士屋ホテルを訪ねてみた。宮ノ下は自動車で何度も通ったことがあるが、じっくりと歩いてみるのは今回が初めてであった。
ホテル周辺の国道1号線沿いには土産物屋や飲食店が軒を連ねているが、お店の看板は英語表記が多く、富士屋ホテルとともに歩んできた歴史を伺わせた。当時ホテルの玄関前でフィアットの幌型自動車1台とランブラー2台の写真を撮影した嶋写真店も創業当時のまま今でも営業を続けている。
富士屋ホテルでは宿泊課の渡邊正孝営業課長に館内の史料室をご案内頂いた。そこには昭和初期のメニュー表や食器類、観光案内や時刻表、当時の富士屋ホテルや富士屋自動車の写真、さらには富士屋自動車の社旗までもが展示されており、大変興味深かった。
富士屋ホテルは2018(平成30)年に創業140年を迎えるという。4月には2年間の耐震補強工事のため全館休業になるというが、2020年春のリニューアルオープン後も現在のままの姿で営業を続ける予定とのこと。
富士屋ホテルの玄関手前に立って建物を眺めてみると、富士屋自動車創業時、ホテルの玄関前に並べて撮られた3台の自動車が目に浮かんでくるようだった。
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