バスマガジン本誌で連載中の「バスにまつわる愉快だけどマジな話」、その筆者である写真家・谷川一巳がそもそもバスに興味を持つきっかけのお話をさせていただく。それはそれは大昔の話で、今から約50年前、中学生のときにまでさかのぼる。そのころのバスの紹介とともに、よもやま話を綴る。
(記事の内容は、2022年7月現在のものです)
執筆・写真/谷川一巳
※2022年7月発売《バスマガジンvol.114》『バスにまつわる愉快だけどマジな話』より
■鉄道旅行がしたかった
そもそも自分がバスに興味というか、カメラを向けるようになったのは中学生の頃からである。鉄道少年だった筆者は、中学3年のとき、鉄道旅行がしたくてうずうずしていた。かといって親と行くような歳でもないし、自由に動き回りたい。
そんなとき、同級生の友人が放った言葉が私の心を掴んでしまった。「谷川君もユースホステルを使えば……」であった。さらに彼曰く「夜はミーティングもあるから女性とも知り合いになれるし」。
私はその週の週末には新宿の京王デパート内にあったユースホステル協会へ足を運び、早速ユースホステルの会員になった。
ユースホステルなら1泊2食付きで1500円程度、素泊まりなら1000円以下、さらにシーツを持参すれば100円程度安くなったのである。予約は往復はがきで、その返事が来るのを心待ちにしていた記憶がある。
当時の若者の旅は、ユースホステル利用は定番中の定番で、私は「どこを回る」というより、ユースホステルのある地を回るように旅をしたのである。
■大誤算で毎日路線バスに乗車
こうして1973年、中学3年の夏休み、国鉄の「山陰ワイド周遊券」を手に、山陰を巡る鉄道の旅に出た。当時はまだ山陰には蒸気機関車が残っていて、それを見るのが主目的であったが、鳥取砂丘など観光地にも足を延ばした。
ところが私にとって唯一の誤算だったのが、ユースホステルの多くが駅から徒歩ではアクセスできない場所にあったことで、駅から路線バスでホステルへ向かう羽目になったのである。当時のバス運賃はおよそ40円程度であった。
現在のようなネットで情報が得られる時代ではないので、路線バスの時間は現地に行かなければ知ることはできないが、それが当たり前だったので、自然と駅での待ち時間ができ、「それならバスも撮っておこう」となったのである。
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