小湊鐵道の上総鶴舞駅は関東の駅百選に選ばれた木造駅舎である。小さな寄棟の屋根、板張りの壁、木枠のガラス窓が時の流れを感じさせてくれる。そこへ里山の風景に溶け込むようにツートンカラーの気動車がやってくる。
(記事の内容は、2019年3月現在のものです)
執筆・写真/諸井泉(特記をのぞく)
取材協力/小湊鐵道(株)鉄道部
参考文献/小湊鐵道100年史(小湊鐵道 平成29年12月発行)、目で見る市原市の100年(郷土出版社)、房総の乗合自動車(崙書房)
※2019年3月発売《バスマガジンvol.94》『あのころのバスに会いにいく』より
■房総半島内陸部の振興を図るために計画された鉄道だった
小湊鐵道は内房線五井駅と上総中野駅を結ぶ私鉄ローカル線だが、上総中野駅から小湊までの路線を伸長し房総縦断鉄道を実現させたいという思いが社名に込められている。その思いを電化で実現させたいという説もある。
国の登録有形文化財にも指定された旧鶴舞発電所が、駅舎の線路向かい側に当時の面影を残して静かに眠っている。ここから小湊鐵道と小湊バスの創成期を探ってみた。
昭和30年頃の安房小湊までの鳥瞰図を見ると、鉄道の路線は中央を横切る太い赤線、路線バスは細い赤線で記されている。五井〜上総中野間の小湊鐵道の延長線上には、安房小湊までの路線が外房連絡バスとして描かれているが、小湊鐵道の社名は当初の目的地・安房小湊にちなんで命名された。
しかしこの鉄道線延長計画は、金融恐慌や戦争などの影響で断念されている。また里見駅からは今は廃線となった万田砂利山線もあり、当時の繁栄を物語る貴重な資料といえよう。
小湊鐵道線は大正初期に、養老川流域の地主や裕福な農家が中心となり、房総半島内陸部の振興を図るために鉄道敷設を計画したことに始まる。
現在の内房線五井駅(市原市)から鶴舞を経て、房総の小湊(鴨川市)に至るルートの免許が1913年に許可された。その目的は誕生寺への参詣輸送及び養老流域、さらには東房州(長狭地域)の振興を主眼としていた。
その頃、小湊鐵道創業の立役者・安田善次郎は信仰心に厚い人物で、この鉄路が小湊の誕生寺への参拝客を運ぶことを目的としていることを知り、採算を度外視して出資したという。
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