房総縦断鉄道への熱い思い……鳥瞰図から見る小湊鐵道バスの創成期が激動すぎる!!

■戦時下の事業統合によって房総半島を横断する路線を確立

昭和20年代、五井駅前の小湊鐵道の3軸バス(出展:郷土出版社)
昭和20年代、五井駅前の小湊鐵道の3軸バス(出展:郷土出版社)

 小湊鐵道では鉄道事業のほか、乗合と貸し切りバス事業を約300両の車両により営んでいる。バス事業は小湊バスと呼ばれ親しまれているが、小湊鐵道のバス事業は1947年に傘下にあった袖ケ浦自動車を合併したことにより始まる。

 袖ケ浦自動車は1927年に市原郡八幡町に設立された事業者だが、当初は大多喜街道周辺のみで営業していた小さな事業者で、1933年に小湊鐵道が経営権を得てからは潤間四郎八の経営する千葉―長南―大多喜、八幡宿―牛久―鶴舞、八幡宿―五井―木更津などの路線を継承するなど、内房地域で路線網を拡張した。

 1937年には新しい路線網の中心となった浜野に整備工場を新設、その後工場と車庫を五井から移転した。同年、大多喜町の大屋旅館自動車部の茂原―長南町―中野間の路線を買収、これにより京成千葉駅―八幡宿―長南町―大多喜線が実現している。

 その後、戦時下の事業統合により1944年に外房地域の多数の事業者を合併、房総半島の東西に横断する広大なエリアを確立したのである。

 上総鶴舞駅前からは茂原行きの路線が1日に1便運行されている。この路線は笠森自動車(南総鉄道)が運営していたものを袖ケ浦自動車が引き継いだものだが、駅前の広場の脇に冷鉱泉が沸いていると茂原行乗務の運転士が教えてくれた。

 この冷鉱泉は以前は水量も豊富で、袖ケ浦自動車時代にはこの冷鉱泉を使って悪路で汚れたタイヤの泥を落としていたそうで、小湊鐵道バスに継承されてからも受け継がれてきたという。この冷鉱泉が湧き出しているところを見ていると、当時のバス運行の様子が目に浮かんでくるようだ。

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