■都会では淘汰されたけれど……
1949年に民生デイゼル工業(現在のUDトラックス)がリアエンジンバスを発表したのち、各メーカーから同種のバス車両がリリースされるようになり、1960年代の後半になると、ボンネットバスは都会から次々と姿を消していった。
しかし、都会とは対照的に引き続きボンネットバスが使われた場所もある。主に地方のマクロな交通を担うローカル線だ。
しばらくの間ローカル線でボンネットバスが安泰だったのには理由があったと言われる。その昔、ローカル路線バスが走る、いわゆる田舎道は軒並み未舗装で狭かった。
その点、車体が比較的小柄なボンネットバスは、狭い所に入って行くのが容易で悪路にも強い長所を持っており、劣悪な道路状況に対して都合が良かったらしい。
最も重要だったと思われるのは、ハードウェア的なスペックよりも、バスを運転している現場の“慣れ”の問題だろう。ずっと高性能で操作性の良い新型が出たところで、使い慣れたものを易々と手放せるわけがないと考えるのは人のココロ。
ボンネットバスが現役だった時代の文献を見ると「ボンネットバスのほうが運転しやすい」という、ローカル線区を受け持つバス乗務員の感想が載っている。
最終的にボンネットバスは1970年代の始め頃まで製造していたメーカーがあった。その後はローカル線のボンネットバスも、道路が整備されたり、車両の耐用年数が過ぎたり、バス路線自体が廃止なったり等、様々な理由から現役を退いていった。
■一度忘れられたものは名を残す
現在はイベントや展示用に状態維持、もしくはレストアされた保存車が大半を占めるボンネットバスであるが、「保存車」の枠組みで見るなら、日の目を見て生き残っている数は、同年代のリアエンジンバスよりもむしろ多いような気がする。
確かに、今のバスとは全然違う形をしていて、物珍しさからすれば、ボンネットバスはリアエンジン方式に増して、より注目したくなる個性と魅力を持っていると言えそう。
これはちょうど国鉄の時代に作られた、古い電気機関車やディーゼル機関車を復活させる動きは極めてレアケースな反面、蒸気機関車はあちこちで動態保存されている構図と似ているかも知れない。
【画像ギャラリー】後世に歴史を伝える貴重なボンネットバス(7枚)画像ギャラリー
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