いすゞ K-CJM500 富士重工3E型ボディを架装した一般路線バス用車両で、この世代での中4枚折戸の採用は全国的にも珍しい。同型は川重製車体も採用されていた
日産ディーゼル K-U31L 富士重工5E型ボディを架装した4枚折戸車。中折戸はこの世代の車両では通常全面ガラスとなるが、下部を鋼板塗装仕上げとしていた
日産ディーゼル U-UA440LSN 自社発注大型路線用車両の最終世代で、富士重工7E型ボディを架装した旧塗装車。一時期前向きシート車も導入されたが、三方シートや中4枚折戸の仕様も継続して採用された
日産ディーゼル KC-RN210CSN 1991(平成3)年を最後にしばらく新車導入が中止されたのち1996(平成8)年に新車導入を再開。輸送環境の変化を踏まえ、7m級小型車が導入された
日産ディーゼル P-RA53R 富士重工R15型R1フルデッカボディを架装した貸切車で、旧塗装を採用。富士重工R15型のこのスタイルは導入例が少ないタイプだった
いすゞ U-LV771R 富士重工R17型7Sボディを架装したスーパーハイデッカ貸切車で、当時のフラッグシップ車だった。茨城交通統合後の現在も見られる貸切バスの新塗装である
いすゞ K-CLM470 日立電鉄は1989(平成元)年から中古バスの導入を進めた。これは東京都交通局から1992(平成4)年に転入した低床大型車で、富士重工3E型ボディを架装
日産ディーゼル K-U31L 京都府の京阪宇治交通から転入した日産ディーゼル製大型一般路線車。これまでの自社仕様とは異なる前後ドア車がデビューした
日野 P-RJ172BA 大阪市交通局から転入した中型バス。中・小型バスは新車導入も並行して実施されていたが、老朽大型車置換えのため中古バスも多く採用された
日野 P-RJ172BA 富士重工6E型ボディを架装した日野製中型バスで、この当時比較的珍しい組み合わせであった。静岡県の遠州鉄道から転入した