いつも利用している高速バスがいつから走っているのか考えたことはあるだろうか。新しい施設の完成で新設される路線や、利用者の低迷で廃止されるなどさまざまだ。また観光客や通勤客など支えられて長い歴史を持つ高速バス路線も存在する。今回はそんな長く利用されてきた「名古屋-飯田線」の開設50周年記念式典が行われたので取材した。
文/写真:東出真
編集:古川智規(バスマガジン編集部)
(詳細写真は記事末尾の画像ギャラリーからご覧いただくか、写真付き記事はバスマガジンWEBまたはベストカーWEBでご覧ください)
■名鉄バスセンター
名古屋市の名鉄バスセンターには、名鉄バスや三重交通、JR東海バスなど多くの路線が乗り入れし、夜行バスは各地へ路線がのびる。また観光バスの発着で利用した方も多いだろう。エスカレーター前は名古屋の有名待ち合わせスポットのナナちゃん人形がいる等、往来激しいエリアだ。
名鉄バスセンターの3階へと向かう。既にフロアには各路線の乗客がバス待ちをしている。筆者は切符売場とコンビニの間にある5番乗り場へとやってきた。乗客はもちろんだが、ラインテープが引かれ関係者が忙しく歩いている。大きなゲートが用意され、くす玉も準備されている。
■歴史のある「名古屋-飯田線」
高速バス「名古屋-飯田線」の開設50周年記念式典が行われようとしている。この路線は1975年(昭和50年)8月24日の中央自動車道・恵那山トンネルの開通に伴い、旧・名飯線(名飯急行バス)が高速道路経由に置き換えられ、「中央道特急バス」として運行が開始された。
これが現在の名古屋-飯田線の始まりであり、今日まで50年走り続けてきたわけである。開設当初から名鉄バスと信南交通の共同運行路線であり、名鉄バスの高速路線の中で一番歴史のある路線だという。なお現在では1日10往復が運行され、毎日多くの乗客が名古屋と飯田を行き来している。
■関係者の想い
式典では各社の挨拶からスタート。登場した名鉄バスの瀧修一社長は要旨「この路線はビジネスや通勤、買い物など生活路線としての需要のある路線。1日10往復で昨年度も約16万8千人の利用があり、非常に多くのお客様に支えられてここまできた。今後も長野県と愛知県の架け橋となれるように安全安心、そして快適な輸送を提供していきたい」と挨拶した。
次に信南交通の中島一夫社長は要旨「この路線が出来るまで飯田は新宿まで電車で6時間、名古屋まで4時間、153号線経由だと4時間10分かかり、どこに行くにも遠い陸の孤島だった。中央道が開通して、当初は春日井インターから下道というルートであったが、それでも2時間35分かかりながらも名古屋が急速に近くなり生活は激変した。当時、高速バス運営のノウハウもなく、名鉄バスに様々な指導をいただいての今日であり本当に感謝したい。
現在は運転手不足で運休もあり、夜間のお客様にご迷惑をおかけしているが、早く採用して元の便数に戻して貢献したい」と当時の話にも触れ挨拶した。最後に中部運輸局愛知運輸支局の奥田章夫支局長は要旨「バス事業は通勤・通学・買い物・観光・帰省など日々の人々の足を支える重要な社会インフラである。最近では運転手不足やコロナウイルスにより人々の行動様式が変わってしまったことなどで以前のような需要に戻ってこない。
そのような状況でも今日50周年を迎えられたことは両社関係者の熱意や日々の尽力によるものだと思っている。また中央道・恵那山トンネルの開通により所要時間が短縮され、鉄道と比較しても大変魅力的な利便性の高い、競争力のある路線であると思っている。今後も引き続き継続して運行していただけるよう期待したい。」と挨拶した。
続けてスペシャルゲストとして中日ドラゴンズのマスコットであるドアラが登場し、開設50周年を祝いくす玉割りが行われた。おなじみのフリップには「飯田線はいい打線」と書かれており、バス路線としての名古屋-飯田線といい打線をかけて披露したが、ややウケのようだった。
コメント
コメントの使い方