「黒いダイヤ」と呼ばれ、かつて日本各地で掘られていた石炭。採炭で栄華を極めた街には多くの人が集まり、相応の交通機関が備わっていたが、炭鉱が夢の跡となった今はどうなっているのだろうか。北海道夕張の近況に迫る!
文・写真:中山修一
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■12万人が暮らした石炭の街・夕張
数ある炭鉱の中で、北海道・空知地方にあった夕張炭鉱は、日本の石炭産業を象徴する場所だ。札幌から東に約60km離れた場所に夕張の街がある。
夕張に石炭層が眠っていると見込まれたのが1874年。1888年に石炭の大露頭が発見されると、4年後の1892年に本格的な採掘が始まっている。
良質な石炭が採れる場所として注目され、夕張とその周辺に数々の炭鉱が作られた。採炭最盛期だった1960年代の夕張には12万人近い人々が暮らすようになり、全国の石炭産業の重要拠点へと成長した。
31の小学校、デパート、映画館、公共浴場、商店街などが建ち並び栄えた夕張の街であったが、石炭からの石油へのエネルギー転換や海外産石炭の台頭、各鉱区で頻発する事故などによって、次第に斜陽へと向かい始めた。
1970年代に入ると閉山に追い込まれる炭鉱が急激に増え、いわゆる「夕張炭鉱」と呼ばれる、街の中心部近くに位置していた本鉱もまた時代の流れに逆らえず、1977(昭和52)年に85年続いた幕を下ろす結末となった。
ちなみに過去の統計データを見る限りでは、炭鉱職員の給与水準は最後の年まで右肩上がりが続いており、坑外一般職よりも3割ほど高額のまま推移していたようだ。
夕張の石炭埋蔵量は周辺の炭鉱と合わせて推定64億トン。1989年まで操業していた近隣の大夕張炭鉱まで含めると、1892(明治25)〜1989(平成元)年までの98年間で1億9650万2499トンの石炭を生産したとされる。
夕張炭鉱の閉山後は観光地への転身が図られ、1980年代初め頃に博物館や大型遊園地など多数の施設が作られたが、次第に赤字経営が深刻なものとなり、夕張市の財政破綻を経て、2000年代後半には殆どの観光施設が役割を終えた。
夕張市街地に2軒あった大型リゾートホテルはいずれも閉鎖され、2023年8月現在ではスキー場と石炭博物館に観光開発時代の面影を残すのみとなっている。
1960年代に12万人を数えた夕張市の2023年8月時点での人口は6,553人。現在は全国的に名の知られる夕張メロンを筆頭に、アスパラガス、長芋などが特産品として並ぶ。
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