“幸せを運ぶ列車”の称号を受け継いだ黄色いバスが今日も走る!! 十勝バス「広尾線」

“幸せを運ぶ列車”の称号を受け継いだ黄色いバスが今日も走る!! 十勝バス「広尾線」

 国鉄・JRの鉄道線から転換されたバス路線「代替バス」が、全国で現在も活躍中だ。鉄道時代からどう変わり、最近はどうなっているのか……実際に利用しつつ、代替バスの実像に迫ってみた!!

文・写真:中山修一
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■十勝地方を縦に繋いだ2本のレール

駅舎、ホーム、レール、車両と、フルセットで整備された広尾線忠類駅跡
駅舎、ホーム、レール、車両と、フルセットで整備された広尾線忠類駅跡

 北海道の道東と呼ばれるエリアの南西寄りに位置する十勝地方。この地方で最も大きな都市・帯広を起点に、南へ80kmほど進んだ先に広尾町がある。帯広と広尾の間には、その昔国鉄が運営した鉄道路線の「広尾線」が通っていた。

 開業は1929年。帯広〜広尾間が全通したのは1932年のことで、延長およそ84km、途中15の駅を経由して結んだ非電化の路線だった。

 上り・下りともに1日6〜7本(年代によって異なる)ずつ列車が出ており、帯広から広尾までを通しで利用した場合、所要時間2時間前後でアクセスできた。

 1973年、途中にある幸福駅が公共放送のTV番組で取り上げられると、縁起が良い駅名の御利益にあやかろうと、全国から観光客が訪れるようになり、寂しげなローカル線の駅から、一躍有名な観光スポットへと変わった。

 沿線人口が比較的多いため、広尾線の利用率は北海道全域のローカル線の中では、おおむね良好なほうであった。とはいえ運賃収入だけで黒字化した実績が殆どなかったのも事実だ。

 1970〜80年代にかけて、100円稼ぐために広尾線が必要とした経費は平均514円程度。幸福駅が全国的なブームになった1974年に劇的な収入アップを見せるも、それでも挽回まで至らず189円かかっていた。

 当時進められていた国鉄のスリム化に伴い、利用者数の基準に届かなかった広尾線も廃止の対象となり、国鉄からJRへ移行する直前の1987年2月2日に、58年間にわたる役目を終えた。

■後を継いだ同じ名前の黄色いバス

 1987年2月の鉄道廃止日から、地元のバス事業者の十勝バスが運行する、鉄道と同じ名前を持つ既存の「広尾線」をベースにした路線が、帯広〜広尾の公共の足を担う代替バス(鉄道転換バス)になった。

 代替バスの運行開始から36年以上経った2023年11月現在も、黄色い車体が目印の十勝バスが「60系統 広尾線」の系統・路線名で運行を続けている。

一路帯広を目指す十勝バス60系統
一路帯広を目指す十勝バス60系統

 広尾行き/帯広行きともに平日1日14本、土日祝10本のバスが出ていたが、2023年8月から日中の2本が減便されて、平日12本土日祝8本に変更となった。それでも国鉄線の代替バスでは、まあまあ充実した本数と言える。

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