「バス高速輸送システム」を広めた象徴的存在!!  インフラ交通のあり方を変えたJR気仙沼線BRT

「バス高速輸送システム」を広めた象徴的存在!!  インフラ交通のあり方を変えたJR気仙沼線BRT

 近頃は各地で見られるバス高速輸送システム=BRT。同様の概念を持つバス輸送は1950年代に登場したが、「BRT」という用語が広く知られるようになったのは、2010年代前半に思える。

文・写真:中山修一
(バスマガジンWeb/ベストカーWebギャラリー内に、JR気仙沼線BRTの現地撮影写真があります)

■少し速く、割とキレイにつながるバス

2012年から運行を始めたJR気仙沼線BRT
2012年から運行を始めたJR気仙沼線BRT

 2010年代前半、東日本エリアを中心に数カ所で、BRT(Bus Rapid Transit)の概念を盛り込んだ公共交通機関が営業を始めた。

 BRTと普通の路線バスとで何が違うのか。大まかに言えば、普通の路線バスに比べると少し速く、運行ダイヤにより忠実。

 さらに始点/終点で他の公共交通機関へのスムーズな乗り継ぎをある程度考慮しているものが、「BRT」の枠組みに入る。車両の見た目は一般的な路線バスとほぼ同じだ。

■困難を乗り越えて生まれたBRT

 前述の数カ所で開業したBRTの一つが、JR気仙沼線のBRTだ。気仙沼線はもともと、宮城県石巻市にあるJR石巻線の前谷地駅から分岐して、同県気仙沼市の気仙沼駅までの間およそ72.8kmを結ぶ、非電化の鉄道線だった。

駅前にBRT専用乗り場が作られている前谷地駅
駅前にBRT専用乗り場が作られている前谷地駅

 気仙沼線は2011年3月の東日本大震災で、柳津〜気仙沼間の線路が被災し不通となった。復旧にあたって、被災したJR線の全区間を合わせて1,000億円程度の費用がかかる(東北復興新聞 2012年5月14日号より)とされた。

 ところが、JR東日本は全体で見れば黒字企業のため、国からの補填が一切受けられないルールに該当してしまい、復旧費用は100%自社負担であった。

 気仙沼線は利用者の少ない赤字路線と言われ、鉄道線を復旧させるには極めて難しい課題のクリアに加え長い時間を伴う……かといってそのままでは現地の交通機関がいつまで経っても落ち着かない。

気仙沼線鉄道パートの終端・柳津駅。列車用ホームの先にBRT乗り場と専用道路が続いている
気仙沼線鉄道パートの終端・柳津駅。列車用ホームの先にBRT乗り場と専用道路が続いている

 そこでJR東日本は、鉄道のインフラを利用して専用道路を作り、鉄道時代と変わらない、もしくはそれ以上の利便性を持ったバス輸送:BRTを走らせ、鉄道の仮復旧という名目で将来の方針を打ち出し、合意に至った。

■BRTのプロモーター(?)

 線路から専用道路への作り替え工事を経て、2012年8月20日に、気仙沼線の柳津〜気仙沼間がBRTとして“復旧”した。

 当初は鉄道に戻していく計画ではあったが、利用状況等を踏まえると鉄道での復活は現実的と言えなかったようで、その後地元自治体との合意を経て、柳津〜気仙沼間はBRTをもって「本格復旧(「復興庁 東日本大震災からの復興の状況に関する報告より)」へと軸足を移した。

柳津駅の駅前広場でBRT車両が休憩中
柳津駅の駅前広場でBRT車両が休憩中

 2020年4月1日に、BRT化された区間が鉄道線としては法律上の廃止手続きが完了したため、2025年夏現在では、JR気仙沼線一部区間の「鉄道代替バス」の肩書きを持つようにもなった、と言える。

 それにしても、BRTという用語が頻繁に見られるようになったのは、311以降のJR気仙沼線・大船渡線の復旧案が出始めた頃からだった気がする。

 今思えば、JR気仙沼線BRTは少なからず日本国内でのBRTの周知に一役買って出た、プロモーターを担う結果に繋がったとも考えられる。

次ページは : ■本数が劇的に増えました

最新号

【6月23日発売】巻頭特集は「会津乗合自動車」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン129号!!

【6月23日発売】巻頭特集は「会津乗合自動車」!! ほか楽しいバスの企画満載の バスマガジン129号!!

バスマガジン Vol.129は6月23日発売!! 美しい写真と詳細なデータ、大胆な企画と緻密な取材で読者を魅了してやまないバス好きのためのバス総合情報誌だ!!  巻頭の[おじゃまします! バス会社潜入レポート]では、会津乗合自動車を特集。同社は福島県の約4割の面積を占める会津地方を営業区域とし、路線は会津盆地の若松・坂下・喜多方を拠点に、平野部の住宅地域から中山間地域へ広がるほか、東部の猪苗代・郡山湖南地区と南部の田島地区にも路線を有している。