用途に応じて様々な種類があるバス車両。なかでも2階建て構造のクルマはひときわ特異に見える。そんな2階建バスはいつ日本に芽生え、どんな経緯を辿ってきたのだろうか。
文・写真(特記以外):中山修一
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■観光バスの目玉的存在
フロアが1階と2階とで完全に分かれ、車体いっぱいに2階部分のスペースが取られた、現在に通ずるデザインの2階建バスが、日本で初めて使われたのは1979年とされる。
大阪のバス事業者が、貸切の観光バス向けに導入したのが始まりで、当時、2階建バス(ダブルデッカー)を製造している日本のメーカーはまだなく、西ドイツからの輸入車であった。
2階からの眺望が良い、プレミアム感を出せる、とにかく目立つ、などが2階建バスのメリットに挙げられるが、2階建バスの放つ独特な雰囲気が、ちょうど昭和の元気がよかった時代のニーズに合致していたようで、1980年代に入ると全国各地で2階建バスの導入が盛んに行われた。
当初は貸切バス向けに限られていたが、しばらく経つと乗合の定期観光バスや、観光色の強い一般路線バスに投入する事業者が出てきたほか、荷物と顧客を同時に運ぶ夢のクルマとして引越し業者が採り入れるなど、1980年代はまさに2階建てバスの黄金時代であった。
ちなみに欧州製の2階建てバス車両は車体寸法が大きく、そのままでは日本の公道を走れない(ドイツ製なら元が左ハンドル右ドアなものもある)ため、大抵は全長12m・全高3.8m以内、右ハンドル左ドア仕様にアレンジされている。
輸入車が占めていた2階建バスも、1983年から日本の大型車メーカーが参入。三菱ふそう、日産ディーゼル、日野自動車の3社が名乗りを上げた。
■一時は高速バスの花形に
1990年代には、それまで2階建車両を路線バスで使用するには車掌が必要だったところを、規制緩和によってワンマン運転ができるようになった。
ここでは、全体の床面積を広く取れるため、通常のバス車両よりも定員を増やせるという、観光向けとは別の理由で、2階建バスが再注目された。
高速バスの旺盛な需要に対して、供給が追いついていなかった時代背景も手伝い、一般的な大型高速バス車両の1.5倍ほどの定員を確保できる、2階建て車両による都市間高速バスなどが、1990〜2000年代にかけて頻繁に運行された。
ただし、2階の天井が低く圧迫感が強い、車両本体が高価、運用に手間がかかるなど、2階建バスにも弱点はある。ブームが起きたと言えど、ものがものだけに、全体の数は一般的な高速/観光バス車両よりも最初からずっと少数派だ。
その後、需要の減少や製造コストの問題などを理由に、日本製の2階建バスは2010年をもって製造が途絶えた。
参入3社のうち、日産と日野製は合わせて20台程度の生産数に留まっている。最も多かったのは三菱ふそう製「エアロキング」で、こちらは約300台だ。
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