様々な理由で鉄道線が廃止になると、その後の公共の足を維持するために「代替バス」が走るようになる場所が多い。代替バスにも古いもの・新しいものが混ざり合う昨今、各地で誕生した代替バスの最近の様子は果たしてどうなっているだろう?
文・写真:中山修一
(バスマガジンWeb/ベストカーWebギャラリー内に、JR松前線代替バスの現地撮影写真があります)
■北海道最南端の町を結んだ鉄道・松前線
今回注目するのは北海道の南部。函館駅から海岸線沿いを西方向に40kmほど進んだ木古内を起点に、北海道最南端の町と言われる松前町までの間、およそ50.8kmを結んでいた国鉄/JR松前線だ。
松前線は1937年10月に「福山線」という路線名で一部が開業。1953年11月に木古内〜松前間が全通すると「松前線」を名乗るようになった。
鉄道全盛期には賑わいを見せた松前線も、自動車の普及によって次第に斜陽を迎え、1980年に国鉄再建法が施行されると、松前線も何度か廃止の対象となり、その度に存続問題が取り沙汰された。
松前線は道内でも人や物の流れが比較的多いエリアを繋いでいたため、極端に利用の少ない路線ではなかったようだが、それでも1975〜81年までの営業係数は平均で628。100円の利益を上げるために、600円以上の費用がかかる赤字線であったのは数字が物語っている。
1984年に松前線廃止の可能性が濃厚となり、議論を重ねながら1987年4月に国鉄がJRに変わった後も、松前線は引き継がれることになった。しかしこれは暫定的な措置と呼べる性質が強かったようだ。
一方で松前線を第3セクター化させる案が検討されたものの、数年で破綻する試算結果により立ち消え。最終的に自治体など関係各位との合意が取れ、青函トンネルが開業する1カ月ほど前の、1988年2月1日に全線廃止となった。
■新規路線で開業した松前線代替バス
松前線廃止の1988年2月1日から、木古内駅前〜松前駅周辺をほぼ同じ経路で結ぶ代替バスが、地元のバス事業者である函館バスによって走り始めた。
1988年3月の『はこだて財界』を参考にすると、鉄道があった時代に木古内〜松前を直通する系統は1本もなかったため、まったく新規に開設したバス路線との説明があり、鉄道の後を継ぐために生まれた、極めて純度の高い代替バスであるのが窺い知れる。
開業後しばらくの間、系統番号や路線名は特に指定されていなかった様子で、時刻表にも「木古内駅前→松前出張所」のような表題が付いている。
2025年5月現在では「木古内松前線」の路線名で、「521、522、523系統」の系統番号が割り振られるようになった。うち521系統が基幹番号に相当、522と523系統は経路が少し異なる通学向けの便だ。
また、1989年9月には、函館〜松前を直通する快速バス「松前号」、のちの510/511系統が追加で運転を開始。
函館直通バスは長きにわたって松前への貴重な足として活躍したが、こちらは2024年問題を理由に2024年10月に廃止となっている。
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