ご縁というのは不思議なもので、月初恒例の「バス占い」の監修をする中で、これからバス旅の記事も執筆する。バスに乗るのが好きというだけで知識があるわけではないが、マニア視点によらない方向の楽しいバス旅をお届けしたい。占い師らしく富士塚を訪ねてみた。
文/写真:長内麻子(一社・日本占道協会 認定四柱推命講師)
共著/編集:古川智規(バスマガジン編集部)
(詳細写真は記事末尾の画像ギャラリーからご覧いただくか、写真付き記事はバスマガジンWEBまたはベストカーWEBでご覧ください)
■バスの選択を間違えてリカバリーを迫られる!
目白駅前から都営バスで江古田浅間神社の「富士塚」に行ってみた。電車で向かうと複数の路線を乗り換えなければならないところを、1本で行けるのはバスの魅力のひとつだ。しかも、23区内の都営バスは乗車距離に関係なく210円の均一運賃でありがたい限りだ。しかしこの後、筆者はとんでもない判断ミスをすることになる。
「江古田」と行き先が書いてあるのだから、なんとなく近いところには着くのだろうと「池65系統」に乗車。終点の「江古田二丁目」に着き、Googleマップで検索すると、江古田浅間神社までは徒歩で「28分」の表示。
手前味噌ながら占いによる自己分析では「考えるより先に走り出すせっかちな星」がある。やはり「みんくるガイド」できちんと調べるべきであった。「考えるより先に走り出す星」は「運動」の星でもあるので、とりあえず江古田浅間神社に歩いて向かった。
江古田駅に近付くと「白61系統」のバスが走ってくるのが見えた。「白61」も目白駅前を通るのに、28分も歩いたのは何だったのかと反省しながら調べると、最寄りは「江古田二又」であることがわかった。
帰りは「白61」に乗ると固く誓った。江古田通りをひたすら歩いたが、途中で都営バスの江古田操車場を横目でも見学できたのは、歩いたからこそ発見できた風景だとポジティブに考えることにする。
■富士塚とは何か?
日本では、古くから富士山を霊峰として信仰し、信仰登山なども盛んに行われてきた。姿形が美しく、自然の恵みを与え、時には噴火を繰り返し恐れられていた日本一の山は、人々が畏怖の念を抱き、神の存在を感じたことは想像に難くない。
江戸時代中ごろに、庶民の間で富士登拝を目的とする「富士講」(富士山を信仰対象とした宗教組織)が生まれた。現代の装備の整った登山ですら最悪の場合は遭難の危険があるのに、行者の白装束での登山はより厳しさを増しただろう。ゆえに、信仰心はあっても、富士山の登山は万人向けではなかった。
そこで老若男女誰にでも富士詣ができるようにと、神社をはじめとした各所に富士山を模した塚が作られるようになった。この小さな山(富士塚)に登れば富士登山をしたのと同じご利益があるとされた。それが富士塚と呼ばれるものだ。
浅間神社(せんげんじんじゃ)と名の付く神社の主祭神はコノハナサクヤビメノミコトであることがほとんどで、神社の由緒はそれぞれだが江古田浅間神社の主祭神も同様だ。御神徳は安産や子育てとされる。
時代とともになくなったものもあるが、東京をはじめ特に関東地方各地には多くの富士塚が残っており、現代でもパワースポットとして人気がある。やはり日本人は富士山が好きなのだと感じる。
高さ8メートル、直径約30メートル。小さな山とはいえ、やはり山は山だ。富士山を模していることもあり、溶岩石の岩場となっている。よって動きやすい服装はもちろん、足元は登山靴やスニーカーなど滑りにくいしっかりした靴がおすすめ。
天狗や猿などの神像、滝などもあり、想像した以上に立派だ。一合目、二合目…登るにつれて小さな標識が現れてくる。これもまた登山気分が味わえる。「六根清浄」と唱えたくなる雰囲気だ。
山頂に祀られているお社に二礼二拍手一礼し、下山した。案内をしてくださっている方が「無事に下山できましたね。」と声をかけてくれた。無事に毎日生活できていることにありがたさを感じるような一言だ。とても清々しい気持ちになれ、参拝できて良かったと思えた。
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