いすゞ P-LV314L 富士重工5E型ボディを架装し、中4枚折戸、逆T字窓を採用した当時としては異色の仕様で、江戸川営業所に配置されていたワンロマ車である
いすゞ P-LV314N 富士重工7E型ボディを架装した長尺・3ドアの車両。この当時の京成電鉄では住宅団地と鉄道駅を連絡する通勤路線に、3ドア車を投入する例が多くみられた
いすゞ U-LV324N IKコーチ製ボディを架装した3ドア車で、側窓も逆T字窓を採用する。佐倉営業所の染井野団地線専用塗装を施された車両
日野 P-HT225AA 富士重工5E型ボディを架装した日野車で、2台のみ導入された少数バージョンであった。京成電鉄の富士5E型は、いすゞ、日野、三菱の3社のシャーシに採用された
日野 P-HT235BA 全引窓を採用した異色の仕様で、千葉~成東間の高速バス「フラワーライナー」にも充当された。画像は分社化し、ちばフラワーバス所属となった後のもの
日野 U-HT2MPAA 幕張新都心地区の輸送に向けて導入された長尺・3ドア車で、幕張地区の専用塗装を採用。幕張地区はのちに連節バス導入によってさらに輸送力増強を図った
三菱 K-MP118M 松戸地区に導入された三菱車で、富士重工3E型ボディを架装。この当時三菱製大型一般路線車は富士重工製車体を標準的に採用した
いすゞ K-CJM600 これも団地輸送向けの長尺・3ドア車であるが、グループ傘下のオリエンタルランド交通(現・東京ベイシティバス)から移籍した車両である
日産ディーゼル P-DA67UE 当時日産ディーゼル製は高速・貸切バスの導入のみであった。このスペースウィングは当時の貸切車のフラッグシップ的な存在でKaNaCカラーをまとう
三菱 P-MS725SA 成田空港~仙台線高速バス用のハイデッカー車で、側窓は全固定。当時の京成夜行高速バス車両では唯一専用塗装を導入していた