高速バス路線をご紹介するこのシリーズ、今回は神奈川県と新潟をつなぐ路線を取り上げたい。
相模鉄道(相鉄)の長距離バスは、東京発の路線が出そろった後の1989年春から始まり、同じ神奈川の事業者である京浜急行、神奈川中央交通も競って夜行中心に路線網を張り巡らせた。
今はなき懐かしい高速バスを振り返りたい。
◉データ
大和-横浜―新潟「サンセット号」/相模鉄道
相手会社/新潟交通
執筆/写真:石川正臣(バスマガジンvol.83/2017年刊より)
新潟独特の方言が聞こえてくる乗り場で気分は高まる
相模鉄道(相鉄)では大阪便(ブルーライト号)が開業第一路線に、その年の夏に田沢湖便(レイク&ポート号)、金沢便(ラ、ピュータ号)、その翌年の1990年年末には徳山便(ポセイドン号)、高松便(トリトン号)の5路線が出そろい、当時としては路線ごとに車体デザインも違っていて見ていて楽しかった。
そしてその後、今回紹介する新潟便(サンセット号)が1993年に加わった。もう路線ごとのデザインは他社でも施すことはなく、どの路線でも共通に使える相鉄オリジナルデザインで運行されることとなった。相手会社の新潟交通も、グリーンのいまでもおなじみとなっているオリジナルデザインが横浜までやって来た。
既存4路線とは異なり、金沢便と同じく夜行に加えて昼行便も運行となって1日2往復、そしてなんと横浜市の隣、大和駅発となった。
帰宅ラッシュも終わり、ほろ酔い加減のサラリーマン、OLが行き交う中、新潟の方向幕を表示した夜行バスが着車、数人が乗車する中「このバス新潟まで行くの?」「そう言うんです」「便利だね」「そう言んだ」新潟便の典型的な方言、「そうです」や「そうだ」の意味を、「そう言うんです、そう言うんだ」という声が聞こえてくる。
この新潟便は影が薄いまま運行廃止、思い出となった
ゆっくりと国道16号を南下して相鉄のテリトリー横浜駅西口で、ほぼ満席で発車。第3京浜で都内入りし、環状8号経て関越に入り、池袋を発車した西武の高速バスとともに北上する。
関東平野を貫き、勾配を登ると関越トンネル。トンネルを出ると真っ白な雪国に突入する。昼間はスノボ、スキーでにぎわったゲレンデも静かな眠りに包まれる。当時、この関越道で東京からのスキーヤーが一気に増え、近辺の積雪した山肌が一気にはがされた。関越道ができて関越トンネルができるやいなや、首都圏の風が吹き抜けたのだろう。
米どころ、新潟平野を快走すると未明の三条燕に到着。夜も明けてくると高速道路は、巻・潟東、鳥原と続く。高速を降りて県庁東、市役所、古町と新潟市内を一周して新潟駅に到着。終点万代シティにたどり着いた。
その後相鉄夜行長距離路線は6路線とも運行を取りやめた。徳山、高松、大阪の3路線は、相手会社が東京便を横浜経由として存続、金沢、田沢湖の2路線は同じ神奈川県の江ノ電バスが引き継いだ。
しかしこの新潟便は存続されず、夜行・昼行ともに1便、2便体制で盛況に見えたが、池袋発の頻繫に便数があった路線と違い、影が薄いまま運行が取り消され、思い出の路線となってしまった。