ご好評、かどうかは定かではないが連載の「バス運転士日誌」はしばらく記事を書いていなかったが、その理由と現状について包み隠さずレポートする、今回は顛末記である。
文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
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■香川県の高松駅で…
記者の本業は記者であるため、取材で遠方に出張することがよくある。バス運転士はその合間を使ったバイト、つまり臨時運転士として港区のフジエクスプレスに所属している状態である。
今からおよそ3か月前に営業教習で実際に旅客を乗せて指導運転士同乗で訓練を始めたのはすでに記事で書いたとおりだ。営業教習を3日間した時点で、記者としての出張で香川県の高松市に出かけた。
大阪から高速バスで夜に到着し、高松駅の駅舎に向かい歩いていると、足元が暗いのは分かっていたが右足を踏み出したとたん、そこにあるはずの地面がないのに気が付いた。時すでに遅く、そのまま着地するかコケるかの選択が必要になった。
高松駅前の広場は一段低くなっていて、暗くてまったく気が付かなかったのだ。大きな荷物を背負っていたので、コケるとその重量で思った通りに受け身は取れない。仕方がなく右足で着地するしかなかった。ヒトの骨格の構造上、右足の外側で着地するしかなかったが、相当に痛かったのを今でも覚えている。
コケてはいないので、そのまま立てるかどうかを確認して、右足をかばえば何とか歩けるようだったので骨折はないと信じて捻挫だと思いサンライズ瀬戸の寝台車で足を投げ出して寝る形で東京に戻った。持っていた湿布を貼り変えながら過ごし、それも在庫が尽きたので整形外科にもらいに行った。
■バスには関係のない受傷事故!
医師に経緯を話すと、顔が曇り「そこは骨折しても歩けるんですよね。多分折れてますのですぐにX線検査を!」となり、写真を見れば素人にも一目瞭然で見事に折れていた。
こうなると医師から「残念ですがバスの運転はダメですよ」と念を押され、診断書を出してもらい、そのままフジエクスプレスに電話で事情を説明して東京営業所まで行った。バス会社とは全く無関係のところで受傷してしまい、迷惑をかけてしまったことを平謝りして診断書を提出した。
概ね全治3か月と言われていたが、ようやく営業教習に入ったところだったので、ここで3か月もブランクをつくってしまえばせっかくたどり着いた営業教習までのプロセスが台無しになる可能性がある。また最初からやり直しだと自分のせいとは言え立ち直れないかもしれない。
医師の話では他人の命を預かるバスの運転は全治するまで運転を許可するわけにはいかないし、そもそも右足なので装具(オーダーメイドの添え木のようなもの)を付けていては、特にブレーキの感覚がわからないので、やはり駄目だということだった。ごもっともだ。
■全治した!
医師の見立て通り、概ね3か月で新しい骨ができて骨折部位がつながったと診断されて、装具が外れた。晴れて医師の許可が下り、これでバスの運転は可能になった。
結論から言えば、傷病による公休扱いで診断書も提出していることから、引き続き雇用され訓練を継続することになったので一安心だ。いずれにしてもどこから再訓練するのか、いつのタイミングで営業教習に戻れるのかはわからないが、自分の努力次第ということになろう。
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