戦災を免れた街並みはいまも昭和初期の面影を残している
郡道について市営交通資料センターの神谷和博さんに話をお伺いしたところ、「いいものをお見せしましょう」と言ってビデオモニターのスイッチを入れてくれた。そこには狭い郡道の商店街を駐車している自家用車や対向するトラック・自転車をよけながらのろのろと走るバスの姿が写っていた。
神谷さんはかつて市営バスで1967年(昭和42)から74年(昭和49)まで車掌。その後は2012年(平成24)まで運転士として乗務していたそうだ。
郡道を走ったバスについては道が狭いため、車両同士がすれ違う際にバスの屋根が商店街の軒先に引っかかって屋根を破損させ、よく謝りに行ったものだと先輩が話をしていたそうだ。郡道には狭隘路専用の「郡道バス」と呼ばれる小型バスを運行していたそうで、現在でいうコミュニティバスのような存在であったようだ。
しかしながら1961年(昭和36)に公布された車両規制令により、狭い郡道は大型車が規制され郡道バスも姿を消すこととなった。2004年(平成16)になると郡道バスを受け継ぐように地域循環バスが運行を開始、昭和区だけでも瑞穂循環、昭和循環系統の2系統が走っている。
さらに郡道は昭和区に残っている道路だけでなく滝子からは善東寺までの薬師通まで伸びていたことを神谷さんは地図を見ながら教えてくれた。
『市営交通70年のあゆみ』によると、終戦後は1947年(昭和22)と48年(昭和23)に進駐軍から軍用車両のダッチブラザース150両、アンヒビアン12両の払い下げがあり、これをバスに改装して使用、ガソリンの配給開始によってバス事業は急速に復興している。
1948年(昭和23)には日野トレーラーバスが大型のディーゼル車として登場、それまで主流のボンネット型バスも、1954年(昭和29)に導入したアンダーフロアーエンジンバスや1956年(昭和31)のリアエンジンバスが導入され、現在のような箱型の車体ものに変わっていった。
また、貸し切りバス事業も1950年(昭和25)に発足、1951年(昭和26)には定期観光バス事業にも進出するようになった。
現在の郡道には表通りの賑わいはない。しかしながら道路拡張もされず戦災を免れた街並みは、昭和初期の面影を残す今となっては貴重な道路である。かつての郡道バスに思いを巡らせながら閑静な商店街を歩いていると、ふっと後ろからクラクションを鳴らして郡道バスが近づいてきそうなそんな雰囲気が漂う道であった。
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