1970~80年代の冬は「スキーに明け暮れた」といっていいほどスキー人口が多く、冬のレジャーといえばスキーだった。そしてスキー場への割安な手段となったのがスキーバスである。何を隠そう筆者は大学時代、さまざまなアルバイトに精を出したが、なかでも印象に残っている業種にスキーバスの添乗員がある。
(記事の内容は、2023年3月現在のものです)
執筆・写真/谷川一巳
※2023年3月発売《バスマガジンvol.118》『バスにまつわる愉快だけどマジな話』より
■スキーバスは毎日多数運行された
現在では信じられないかもしれないが、12月から4月上旬くらいまで、東京でいえば東京駅八重洲口、新宿駅西口、水道橋後楽園前などから毎日スキーバスが運転されていた。
蔵王、猪苗代、上越、草津、志賀、斑尾、妙高、白馬・栂池方面など、数多くの路線が運転され、週末は同じ方面へ何台も連ねて運行していたのである。
旅行会社が主催し、バスは貸切車。毎日運行なのでツアーは1泊でも2泊でも3泊でも対応できた。定期路線バスのようにバスだけの利用もできたのである。
旅行会社各社で客が集まらない場合は、旅行会社何社かでバス1台というように、会社間で融通することもあった。毎日21時頃、東京駅八重洲口などは、10台以上の観光バスのアイドリング音がこだまし、色とりどりのスキーウエアの若者で溢れたのである。
■関西からはスキーよりも合コン状態?
筆者はそのスキーツアーのパンフレットにあった「添乗員募集」の文言に目が留まり、バスの最前列に座って斑尾、草津、山形、妙高、黒姫、志賀、白馬アルプス、五竜とおみなどへ添乗したのである。すべてのバスに添乗員が乗るわけではなく、週末や、バス台数が多い場合の1号車に添乗した。
週末は道路渋滞で予定の休憩所に入れなかった場合の代替場所手配、現地でのバスの駐車場手配、バスの座席表作成、宿の人との打ち合わせなどやることが多かったが、それらの仕事が片付けば、リフトの無料パスが支給されスキーを楽しむこともできた。
添乗業務をやるうちに、志賀高原で駐在員をやることにもなった。同じ部屋には大阪の旅行社の駐在員が同室。部屋の電話から東京、大阪それぞれの会社に電話し、「明日は近鉄バスが何台、中央交通が何台で行く」などと事前打ち合わせをするのである。
その部屋の窓からは山の尾根を登ってくるバスが遠望でき、翌朝、木の合間を近鉄バスが走っていたので、大阪の駐在員に「近鉄が来ましたよ」というと、彼曰く「谷川さん! あんな遠くのバスが何で近鉄だって分かるんですか!」と驚かれてしまったのである(バスマニアなら分かって当然か!?)。
東京と関西の客層もかなり違い、東京からは少人数グループでスキーを楽しみに来ている人が多いのに対し、関西からはスキーに興味のない人が多く、今でいう合コン目的であった。
グループのリーダーは、スキーはそこそこに昼間から宴会場の設営に余念がなかったのが印象に残っている。スキーにあまり興味のない人が多いので、レンタルスキー希望者が多く、そちらの手配も大変であった。
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