東陽バスは沖縄本島南部に路線を展開する事業者で、本島主要4社の中では最も小規模な事業者である。平成年間は他社同様に730(ナナサンマル)車の代替を進めた一方、経営再建に向けた激動の時代であった。
(記事の内容は、2023年7月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2023年7月発売《バスマガジンvol.120》『平成初期のバスを振り返る』より
■沖縄の本土返還による道路交通方式の変更時に日野RE101が大量導入
東陽バスは、沖縄の本土返還及び道路交通方式の変更に伴い、日野製右ハンドル車を集中的に導入することとなった。
この際に大量投入された車両、左側通行への変更日である1978(昭和53)年7月30日にちなむ、いわゆる730(ナナサンマル)車がRE101型で、平成期に入ってもなお、同社の主力として活躍していた。
ただし、車両は冷房を完備し、整備も行き届いており、一部の車両は前面方向幕を大型化するなど改良も施されていた。
東陽バスの営業路線は、南部を中心とした郊外路線で、当時はすべての車両が前乗り・前降りのトップドア仕様とされていた。730車以降に導入された自社発注車両もトップドアで、車内は2人掛けの座席が並ぶ、着席を重視した仕様であった。
なお、高速バスには貸切車の転用改造車が充てられ、セミデッカ車をスケルトン車風に改造した車両なども活躍した。貸切車では短尺車が好んで採用されたのも特徴のひとつだ。
これら730車をはじめとした老朽車両が取り替え時期を迎えた昭和末期から平成初期は、バスの旅客減少・経営悪化が顕在化しており、自社発注の新車導入は抑制され、結果として老朽730車の取り替えが課題となった。
その取替えのため、関東・関西から多くの中古バスが転入し、管内各路線で使用された。
当初投入された車両は中ドアの撤去、同社の標準仕様である腰部側面方向幕の新設や内装の一新など、徹底した改造が施されたうえで営業投入されていた。中古車両の導入数が増大すると、こうした改造も一部が省略され前事業者の面影を濃く残した車両も見られるようになった。
また、淡路交通からはいすゞのキュービックバスも転入し、日野車で揃えられていた当時の陣容にあって、異彩を放った。さらに、富士重工製のボディなど、それまで見られなかった車両もお輿入れした。
また、貸切・高速バス分野でも中古車が積極的に投入され、平成前期までに老朽730車の取替えはひと段落することとなった。しかし沖縄の歴史の証人ともいえる730車のうちRE101型1台は、今なお使用が継続され、動態保存車として現在も一般路線で使用される。
しかし2002(平成14)年には経営破綻し民事再生法適用を申請、その後新法人を設立してバス事業を継承したうえで、(旧)東陽バスは清算された。この間には不採算路線の廃止、定期観光バスからの撤退など、スリム化も進められ、一部の路線はコミュニティバスに再編の上、自治体からの受託運行に移行した。
沖縄では各社の経営問題が顕在化した平成年間に、路線バス事業の4社統合なども模索されたが、これは実現せずに終わった。しかしながら幹線鉄道のない沖縄にあって、バスは公共交通の主力であって、今後も各社協調の上、県民の足として活躍してくれることを祈る。
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