フジエクスプレスで臨時運転士として、単独で営業運転できるようになった記者のバス運転士奮闘記。本稿ではバス運転士の仕事を少し離れ、バスや乗用車にお祀りしてある御守や神札の話をしよう。交通安全祈願をすれば無事故になるのか? バスで行くパワースポット連載で得た知見も交えて記者が神頼みをしたお話をする。
文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
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■乗用車もバスも御守や神札は意外に多い
読者の皆さんが乗用車をお持ちであれば、交通安全の神札をお祀りしていないだろうか。木札ではなくてもシール式だったり反射式だったり、あるいは吸盤で貼り付ける御守だったりとさまざまだろう。中には車ではなくキーホルダーに御守が付いているという方もいるだろう。
バスに乗車する際にあちこち見渡していただくと、意外にも御守や神札がお祀りされていることが多い。バス事業者の考え方にもよるのだろうが、営業所近くの神社や寺院で授けられたケースが多いようだ。
営業所に神棚がお祀りしている事業者も多い。記者が所属するフジエクスプレス東京営業所にも神棚がお祀りしてあり、月初めには朝礼の際に二拝二拍手一拝の作法で参拝をしている。ただし運転士は朝礼の時間と点呼の時刻が重なった場合のみでなので、記者も営業所の神棚には1回しか参拝する機会を得ていない。
■交通安全祈願とは?
記者はバスで行くパワースポットという別の連載を書いているが、その中でいくつかの神社の神職とお話しする機会があり、御祈祷の意義や本来的な意味があることを聞いている。仏教寺院とは解釈が異なる点があるだろうが、あくまでも神社の考え方として聞いた話である。
本来、御祈祷とは神職を通じて神様にお願いをお伝えすることには違いないが、ただお願いして成就するのであれば、この世から交通事故はなくなっているはずだ。しかし実際には毎日多くの悲惨な交通事故が発生しているのが悲しい現状だ。
「困ったときの神頼み」とは本来はあまり良い意味ではない。信仰心を持たないものが苦難に陥った時だけ都合よく助けを求めることを例えたもので、本当に困ったときにはわらをもつかむの例え通り仕方がない面もあるが、どちらかというと揶揄する表現である。
本当に神頼みをする際には「誓願」を行うのが本来であると考えられる。古くは願掛けとも言われ、御百度参り用の石柱が置かれている神社が現在でも存在するのはこうした理由からだと思われる。
誓願とは心願を成就するために神様に誓いを立てることである。その努力により力添えを願うのが御祈祷であり、その橋渡しを祝詞奏上により正式な作法で行うのが神職ということになるだろうか。
■ちょこっと国語と日本史のお勉強
これは、「人事を尽くして天命を待つ」ということわざに通じる。人事とは人が努力できることすべてを行うという意味であり、それにより人知の及ばぬところについて神様の力添えを願うという中国由来の古いことわざである。
そして歴史の授業で必ず出てくる鎌倉時代の御成敗式目に、人と神との関係が第1条に記されている。すなわち「神は人の敬に依りて威を増し人は神の徳に依りて運を添ふ」である。神社庁の現代語訳によると「神さまを敬う人の純粋な真心にふれ神さまのご威光はさらに輝きを増し神さまの広き厚きご神徳のご加護で人は導かれ運を開く」となるようだ。
これらを総合すると、神様を敬うことにより威光が増すので、それにより人は御神徳を得て開運する。それには、人ができる神様に誓ったことは努力して行い、人の力の及ばぬところを神様の御神徳で運を開くと解釈できよう。







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