青森県南東部に路線を展開した南部バス。現在は岩手県北自動車の一部門として再スタートを切り、会社としては清算されている。
しかし旧南部バスエリアでは現在も「南部バス」として案内されており、南部鉄道時代から続く伝統の名称が今も息づいている。今回はモノコックバスが多くを占めていた南部バスの平成初期を振り返ってみよう。
(記事の内容は、2022年7月現在のものです)
文・写真/石鎚 翼
※2022年7月発売《バスマガジンvol.114》『思い出の長距離バス』より
■いすゞ製を主体とした一般路線バス。中古車両を積極的に導入して体質改善
南部バスはかつての南部鉄道が母体で、尻内(現・八戸)~五戸間の鉄道路線を運行していた。
1969(昭和44)年、十勝沖地震による被災を契機に鉄道路線を廃止してバス専業となり、翌年商号も南部バスに改めた。五戸にあった鉄道施設はその後バスの五戸営業所に転用され、現在も岩手県北自動車南部支社五戸営業所として使用されている。
車両はいすゞ製を中心に採用し、昭和終盤からは首都圏からの中古車が積極的に導入され、古参車の置き換えが進められた。自社発注車は川重・IKコーチ製車体で導入されたが、中古車では富士重工製車体も転入した。
当初は京急グループ(京浜急行電鉄、川崎鶴見臨港バス)や千葉中央バスからの転入が中心で、大型車は多くが中古車両で調達されるようになった。これを契機に老朽化した古参非冷房車が次々と置き換えられた。
1985(昭和60)年に導入されたいすゞLT系から、いすゞキュービックバスのカタログカラーに準じた軽快な塗装に生まれ変わった(その後導入されたモノコック中古車はしばらく旧カラーも採用)。
自社発注大型車はホイールベース5m級の標準尺車を採用していたが、中古車は短尺や長尺車も転入し、のちに中型車も中古車が導入されるようになった。これら中古車は貸切バスでも活用され、いすゞ一辺倒だった一般路線車と異なり三菱製車両も転入した。
その後も継続して各地から中古車両が投入されたが、いすゞCJM系などモノコック車が2000年代に入っても多く活躍し、ファンの注目も集めることなった。
平成初期は全国的な高速バスブームのもと、高速バス路線の開設も相次いだ。1989(平成元)年には東京~八戸間夜行高速バス「シリウス号」を、ジェイアールバス関東、十和田観光電鉄、国際興業との共同運行で開設(現在、南部バスとジェイアールバス関東は撤退)。
このほか、東北地域内を運行する盛岡線、仙台線、弘前線を相次いで開設し、縮小する一般路線バス需要を補うべく大きな期待がかけられた。「シリウス号」の専用車には、当時流行したスーパーハイデッカー、3列シート車が用意された。
2016(平成28)年には経営破綻し、みちのりホールディングスの支援を受けながら岩手県北自動車の一部門としてバス事業は継承されたが、現在も「南部バス」の表記はこの地域で親しまれている。
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