富士重工ボディの博物館か? 平成初期のトモテツバスにタイムリープ!!

富士重工ボディの博物館か? 平成初期のトモテツバスにタイムリープ!!

 鞆鉄道は、かつて福山・鞆港間の軽便鉄道を運行していたが、鉄道廃止後も商号は変更せず、現在もトモテツバスの愛称で親しまれている。中国バスとともに福山市周辺に路線を展開し、平成初期は都市間高速バス路線にも進出した。

 平成中期以降はエリアが隣接する三原市交通局の事業廃止や、中国バスの経営破綻なども発生し、鞆鉄道も交えた路線の移管や調整も行われた。こうした揺籃期の少々前の時期の様子を紹介しよう。

(記事の内容は、2022年5月現在のものです)
執筆・写真/石鎚 翼
※2022年5月発売《バスマガジンvol.113》『平成初期のバスを振り返る』より

【画像ギャラリー】「ポニョ」が生まれた町を走る!! 現代的な工業都市から風光明媚な風景をつなぐ鞆鉄道の車両たち(8枚)画像ギャラリー

■富士重工の歴代ボディが並ぶ

右から3Eボディの三菱K-MP118M、5Eボディの三菱K-MP118M、7Eボディの日産ディーゼルU-UA440HSN。鞆鉄道は三菱製にも富士重工ボディを多く採用した
右から3Eボディの三菱K-MP118M、5Eボディの三菱K-MP118M、7Eボディの日産ディーゼルU-UA440HSN。鞆鉄道は三菱製にも富士重工ボディを多く採用した

 鞆鉄道は主に三菱製・日産ディーゼル製シャーシを採用しており、狭隘路線向けを除いて、大型車が中心の陣容であった。

 かつて鉄道路線が結んでいた福山・鞆港間は、同社きっての幹線で、現在も15〜20分間隔で運行され、主に大型車が使用される。鞆港は映画「崖の上のポニョ」の舞台となったとされ、コロナウィルスの蔓延以前は外国人の訪問も多かったという。

 三菱製シャーシにも富士重工製ボディが採用されたため、富士重工製車体を標準とする同時期の日産ディーゼル製と同等の外観を持っていた。例外的にトップドア車や前後ドア車が在籍した時期もあったが一般路線車両の基本は前中ドア車である。

 1988(昭和63)年には、中4枚折戸車も自社導入されたが、その後はすぐに引戸に戻されている。また、ホイールベースやエンジン出力、サスペンションには導入年次によりバリエーションもあった。

 日産ディーゼルのU20/U30系など、比較的高経年の車両が平成初期にはまだ多く活躍しており、旧塗装車も多く見ることができた。これらの取換えには首都圏からの中古車両も採用され、後述の高速バス分野も含め、転入車が活躍を開始した時期でもある。

日産ディーゼル U20H。日産ディーゼル製の短尺車で、フロント部に放熱用グリルを設置した初期の試作冷房車。このモデルは本格採用されことなく消滅した比較的希少なもの
日産ディーゼル U20H。日産ディーゼル製の短尺車で、フロント部に放熱用グリルを設置した初期の試作冷房車。このモデルは本格採用されことなく消滅した比較的希少なもの

 1994(平成6)年には高速バス事業に進出し、県都広島と福山を結ぶ「ローズライナー」の運行に参画した。

 「ローズライナー」は山陽新幹線並行路線ながら高頻度運転で人気を博し、現在も同社の主力路線である。運行各社が、福山市の花でもあるローズ(バラ)をあしらった共通デザインを採用し、近距離県内路線ながらスーパーハイデッカー車も運行された。

 また、1999(平成11)年には西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の開通に伴い、福山~今治線「しまなみライナー」の運行にも参加した。

 しかし、その当時多くの事業者が参入した夜行高速バスをはじめとした長距離高速バス事業には、今日に至るまで参入せず、地盤である福山を発着する夜行高速バスは、専ら中国バスが運行している。

 現在の広島県東部は、中国バスが両備バス傘下で経営再建を図り、井笠鉄道も経営破綻を経てバス事業は中国バスの傘下に入り、三原市交通局は事業を廃止するなど、随分と雰囲気が変わってしまった。

 鞆鉄道は当時と同じグリーンのストライプを基調とした塗装を受け継いでおり、頼もしい存在と言えよう。

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