■1970年代に各メーカーがラインナップ
続いて三菱はB8/B9タイプに第2柱のところから上がるセミデッカーをカタログモデルとして設定、1970年代に入ると73年に帝国自動車工業と富士重工が、74年に呉羽自動車工業がセミデッカーボディをラインナップした。
なお、いすゞの標準ボディだった川重車体工業は1976年にフロントのすぐ後ろで明かり窓を斜めに配して屋根を上げる形でほぼフルデッカーと言ってよい「ハイデッカーI型」をラインナップするので、セミデッカーは製造していない。
セミデッカーには大きく二つのタイプがある。いずれもフロント部分は標準床と同じつくりで、ドアのすぐ後ろ、すなわち第2柱のところで段差がつくタイプと、ドアのすぐ後ろの窓までは標準床と同じで、次の第3柱のところから段差がつくタイプである。
全体的には前者の方が多かったが、好んで後者を選ぶ事業者も少なくなかった。富士重工は前者をS型、後者をG型と呼んだ。【写真2】は富士重工のS型を日野RVに架装した福島観光自動車の貸切バスである。フロントマスクやバンパーも標準よりグレードの高い仕様が選ばれるケースが多かった。
なお、セミデッカー化によって車高が高くなった際の側窓の処理はさまざまな選択が見られ、【写真2】は窓の上下幅も拡大し、当時流行の前傾させた平行四辺形の窓となっているが、【写真3】のように標準床の窓と同じサイズを車高の分だけ上げ、腰板部分を広く取ることでより高く見せるケースもあった。
また【写真4】は上下幅をとった窓の上部を固定しT字型に開閉する特異な仕様である。また【写真5】は日野車体の製造による第2柱から上がるセミデッカーだが、この東京近鉄観光バスでは第1窓を下げて段差を強調している。
■さまざまな仕様を経てフルデッカーへ
第3柱のところから上がるタイプを見てみると、よりスピード感があるように見える。【写真6】は富士重工G型を架装したいすゞ車、【写真7】は日野車体、【写真8】は呉羽自工の第3柱から上がるセミデッカーである。
三菱(名古屋)は1977年にモデルチェンジを行い、セミデッカーも継承されるが、第2柱から上がるタイプのみがラインナップされた(【写真9】)。
フルデッカーが主流となる1980年代後半にはセミデッカーはラインナップから外れるが、これにはボディのつくり自体がセミデッカーへの対応が難しいスケルトンタイプに移行したことも関係している。
【画像ギャラリー】セミデッカー全盛からやがてハイデッカーの時代へ……バスの過渡期を写真で見る(9枚)画像ギャラリー
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