社団法人国際科学博覧会協会(以下博覧会協会)では開幕前、来場者の用いる交通機関を国鉄〜シャトルバスの利用者50%、自動車の利用者50%とみていた。
そして自動車利用者のうち、マイカーとバスの比率は3対1で、マイカーの方が多いと想定していた。これは大阪万博、神戸ポートピアなど過去のデータを参考にはじき出した数字で、同協会は会場内の出展者などにも説明していた。
(記事の内容は、2022年7月現在のものです)
執筆・写真(特記を除く)/諸井泉(元シャトルバス中央事業所第6グループ運営管理者)
※2022年7月発売《バスマガジンvol.114》『日本を走った初めての連節バス』より
■東京から会場に向かうには最低2回乗り換えることが必要
来場者の交通手段、いざ開幕してみると国鉄利用者はわずか20~30%、反対に貸し切りバスに乗って団体で乗り付ける客が多く、平日では50%を超えた。万博中央駅からのシャトルバス分担率は開幕当初はそれでも35~40%あったが2カ月半後には15~20%にまで落ち込んでいた。
今回のケースが大阪万博と異なるのは、大阪万博では大阪市内から地下鉄御堂筋線を利用して会場近隣駅まで手軽に行くことができた。
ところが科学万博になると、東京から科学博会場に向かうにはまず国鉄などで上野駅へ出て、そこから常磐線のエキスポライナーなどで万博中央駅へ、そこからさらにシャトルバスで会場へと最低2回も乗り換える必要があった。
科学万博開催期間中は都心と土浦間に臨時列車の「エキスポライナー」が1日に最大54本運行されたが、エキスポライナーの約半数が我孫子発となっていた。
これは上野駅の発着枠の関係で、上野駅に乗り入れできる本数が限られていたことや、運転区間の取手駅〜藤代駅間に直流電化と交流電化の接点である、デッドセクションが存在していたため、運行できるのは交直流電車に限定されていたためだ。
さらに地下鉄から常磐線に乗り入れる直通電車も運行できなかった。このことが国鉄の利用率を大きく下げることとなった。
また、特急「ひたち」は期間中臨時列車も含めると18往復が土浦駅に臨時停車したものの万博中央駅は通過となっていた。こうしたことから国鉄から乗り換える利用客が大半のスーパーシャトルを直撃した。
「スーパーシャトルは空気を運んでいる」次第にマスコミから叩かれるようになる。そこで博覧会協会はバス輸送対策室に対し、「空のバスは走らせるな」と命じたのである。それを象徴する1枚の写真がある。それはターミナルを写した写真1である。
発着バースの一番前に係員が立っているが、一見するとお客様の案内係に見えるものの、よく見ると立ち位置が違うのにお気づきだろうか? 案内係ならお客様が乗車するバスの乗車口付近、つまりバスの真ん中付近にいるはずだが、写真では一番前に立っている。
この係はお客様案内係ではなく、バスの運営をする運営管理者である。つまり、乗客がゼロの場合にすぐに運転手に運休を告げられるよう、運転席の近くにいたのである。
■バスを間引くことが運営管理者の重要な仕事になっていた
このようにして、運営管理者は連日のように発着バースの先頭に立って日中は運転手にバスの運休を告げ続けたのである。いつしか運営管理者はバスを間引くことが重要な仕事となっていた。日中の暑いさなかにバースに立ち続けていたあの頃のことが今でも思い出される。
万博中央駅ターミナルの写真を見てさらに気が付いたことがあった。それは在来バスの存在である。博覧会協会では万博輸送の大動脈となる万博中央駅~北ゲート間はスーパーシャトルだけでは輸送能力が不足すると考え、同区間を在来バスまで運行させていた。
万博中央駅ターミナルの在来バスの写真2と3には関東鉄道、スーパーシャトルの梯団運行に挟まれて走る在来バスには国鉄バスが写っているが(写真4)、この区間を走っていたのは関東鉄道と国鉄バスであったことがわかる。
現在、ひたち野うしく駅~筑波学園都市を結ぶバス路線は関東鉄道とJRバス関東の共同運行路線であるが、当時の科学万博時に臨時に設定されたバス路線が継承されたのではないかと思う。
なお、この在来バスは万博中央駅発着ではあるが、シャトルバス中央事業所では在来バスの運行管理は行っていなかった。
そこで、バス輸送対策室組織図を改めて見てみた。真ん中の行の万博中央駅前営業所の下には左から誘導整理係、運行係、案内係、庶務係と並んでいるが、運行係から左に枝分かれした欄に牛久駅前運行係(誘導兼務)という項目が認められた。
つまり営業所は牛久駅前ということになり、バス輸送対策室組織図からも読み解くことができたことは興味深かった。
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